遺言書は、誰のために書くのでしょうか?
まず、はじめに皆さんに考えておいていただきたいことは、「遺言書は、誰のために書くのか?」ということです。
私見を申しますと、遺言書は、自分のために書くものではありません。遺言書を勧められると「まだいいよ。」とおっしゃる方がいらっしゃいます。それはきっと遺言書は自分のため、または自分の権利だという考えがあり、「そんな遺言書なんておこがましくて偉そうに書けないよ。」と考えておられるのかもしれません。だから、「私が死んだ後に好きにしてくれたらいいよ。」と真心から、そして親切心でそうおっしゃっておられるのだと思います。死んだ後のことまで出しゃばりたくないと・・・。
では、なぜ私たちは、みなさんに遺言書を書くことを勧めるのでしょうか?
その答えは、ただ一つです。それは、みなさんの「家族のため」です。みなさんは、遺言書を後に残される家族のために書くのです。みなさんのためでも、みなさんの最後の権利の執行のためでもありません。
考えてみてください。死んだ後、みなさんには何が遺ると思いますか?
財産?お金?家?いいえ違います。それらは皆さんがお亡くなりになった瞬間、相続人のものになります。というのも、実は、遺言書はあなたがどの様に書こうが相続人全員の同意があれば、内容を変更することが出来ます。意外ですよね!しかし、これは事実です。
では、お金や家などがあなたの財産として残らないのであれば、いったい何が、あなたがお亡くなりになった後に、遺るのでしょうか?
唯一あなたの元に遺る財産は「あなたの家族」です。子・親・兄弟姉妹等です。人によっては、いとこ・親戚なども、そこに入ってくるかもしれません。あなたの家族だけは、あなたがなくなった後もあなたの家族です。当たり前のこと過ぎますか?しかし、わたしは真にわたしの亡くなった後の世界に遺るものはわたしの家族だけだと信じています。あなたは、その「あなたの家族」のために遺言書を遺すのです。
「誰のために?」に対する私の考えは以上の通りです。では、次は「遺言書はなぜ書くのか?」について私の見解を下記致します。
遺言書はなぜ書くの?
私ども相続対策専門士は、遺言書は、相続を「争族(争う相続)」にしないために書くことをお勧めしております。恐らく私ども相続専門士以外の方々も皆さん同じ理由で遺言書を書くことをお勧めしていると私は考えております。
次に書くことは、わたしの少し変わった考え方です。少しお付き合い頂けると幸いです。
私たちは、生まれてこの方、民主的であることを善として育ってきました。
わたしは、自由を得るために働いていますし、社会が民主的な仕組みで出来上がっていることを望みます。逆に民主的でない仕組みには断固反対します。社会が自由を尊重し民主的であることにより、社会に自由で公正な競争が発生し、世界が豊かになっていっている面は否定のできない事実だと思います。
但し、それを相続にまで当てはめようとしてしまうとどうなるでしょう?
多くの人が、子どもたち又は遺された者たちの自由を尊重し、自分が死んだあとは、好きにしたらいいと遺言書を書かずに旅立たれます。しかし、その後、その方の家族は、自由で民主的な仕組みで相続を解決することを強いられることになります。自由で民主的な枠組みの中では、法の下、自由で公正な競争が起こります。しかし、公正な競争は、広く開かれた社会で行われるものであり、家族という閉ざされた、そして一人の亡くなった方の財産の相続という限定的な枠組みの中で機能する仕組みではないと思っています。
そんな限定された、他に選択肢のない、更に言えば、逃げ場のない枠組みの中で自由な競争が起こった時、何が起こるか?
まず、競争が起こる以上、必ず、勝者と敗者が出てきてしまいます。皆が、お亡くなりになられた方の意思を無視し、民主的な解決を望まず、自由な競争をせず、皆が敗者を選び、その手から自由を手放し、法律に全てを委ねる選択をするのであれば、その時、その家族には平穏が訪れるでしょう?
もちろん、民主的な話し合いで解決する方法もあると思います。しかし、ディベート(議論)になれていない私たち日本人は得てして、話し合いを唯の話し合いではなく、感情的な話し合いにしてしまい、結果、唯の感情のぶつけ合いにしてしまうことが多々あります。この感情的な話し合いの問題なところは、もともと民主的な話し合いで解決しようと考えていのに、それが「引き金」になって、親がいた時は納得して我慢出来ていた過去の不満が噴出してしまったり、そんな話し合いがなければ、思いもしなかったようなこと、更に言えば、今までは我慢とも思っていなかったことが、その話し合いの中で、一気に家族間の問題として浮き上がってきてしまうことがあるところです。
ここまでの話で、違和感を覚えられている方もいらっしゃるかもしれません。それは恐らく私がはじめから解決という言葉を使っていたからだと思います。私は、はじめから民主的な話し合いで解決する方法と書いていました。違和感を感じられなかった方もいらっしゃるかもしれません。
つまり、わたしが言いたいことは、遺言書のない状態で、相続が発生した場合、それは遺された家族にとっては、眼前に立ちはだかる、解決しなければならない家族間の大きな問題として認識されるということです。それは、人によっては関わりたくない、または無意識のうちに逃げたいと思ってしまうほど怖いイベントと言っても過言ではないでしょう。きっと、それまでの人生の中で、他所の家族の良くない相続の結末を散々聞かされてきたからではないでしょうか。うちの家族は大丈夫と思っていても、なぜか何の根拠もない不安がぬぐい切れないといった人も多いのではないでしょうか?
なぜ不安なのでしょうか?それは、きっと、それまで仲の良いとまでは言わなくても、普通のどこにでもある家族だったあなたの家族が相続をきっかけにバラバラになってしまうのではないかという漠然とした不安があるからだと思います。特に、親という大きな心の支えを失った不安もあり、その不安は尚更大きいものになるのではないのでしょうか?
正直、遺言書を書くのは面倒くさいし、何をどうすれば良いか分からないと思います。でも、それが親としての最後の勤めだと思って頑張っていただきたい。そのお手伝いを私たちが致します。面倒くさいことは極力わたしたち士業のものに任せてしまえば良いのです。皆さんは、子どもの明るい将来、家族の笑顔を考えて、どうすべきか全てのことを一つ一つ私たちと考えていけば良いのです。
亡くなった後では、もはや何の相続対策も出来ませんが、生きている内でしたら出来ることが沢山あるはずです。または、そこまで対策しなくても大丈夫だということが分かり、一気にあなた自身の心配事もなくなり、肩の荷がおりるということもあると思います。その時、はじめて自分が死んだ後の家族のことを心配していたことに気付くことでしょう。
遺言書があれば、あなたの家族は、あなたが生きていた頃と同じように、あなたが言うのなら仕方が無い、または全てをあなたのせいにすることが出来るので、遺された家族間で喧嘩に発展することを防ぐことが出来るでしょう。
更に言えば、相続対策の方針さえ決まってしまえば、その後は、人生100年時代に生きるあなたは未だ未だ元気です。家族に喜んでもらえる贈与を計画したり、逆に、自身の残りの人生をどう豊かに生きていくかと言うことに焦点をあてて生きていくことができるようになります。あなたが幸せに人生を送ることは子ども達の望みでもあり、喜びです。
以上のことが、私の考える遺言書の意義であり、わたしが皆さんに遺言書をお勧めする理由です。逆説的ではありますが、死んだ後のあなたの相続のことを考えることが、あなたの老後の第二の人生を生きていく上の道しるべになると思います。
まずは、相談から!
私たち相続対策専門士は、少子高齢化社会という次のステージに進んだ日本で生きる全ての皆さんが豊かで幸せな暮らしが出来るよう手助けをして参りたいと考えております。
\ ぼたんだよ /